時代 | 年号 | 高鷲のできごと |
縄文時代 | 高鷲小学校の校庭、向鷲見の浄勝寺の境内、鷲見の敬願寺のうらの畑から、 縄文式の土器が発見される。 |
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奈良時代 | 717 719 |
泰澄 大日ヶ岳に登り、大日如来をまつる。 鮎走と正ヶ洞の白山神社できる。 |
平安時代 | 940 1023 1156 1160 |
このころ平良忠(穴洞の白山神社をたてた人)穴洞に来て住む。 大水害がおこる。各地で山ぬけがある。 鷲見頼保 このころ高鷲へ地頭として来る。 頼保、向鷲見神社に社領として二石余を寄進。 鷲見城をつくったのは、このころではないか。 |
鎌倉時代 | 1201 1221 1285 1333 1334 1336 |
岩滝の小島三郎、鷲見の郷をせめ取ろうとする。 鷲見家保(頼保の孫)東軍について戦う。 鷲見保吉、諸保一年間京都御所の守衛につく。大平壺(敬願寺蔵)はこの時の記念品 鷲見忠保、後醍醐天皇方について幕府をせめる。 大地震がおこる。 恵里美川の流れがかわる。 忠保 足利尊氏につき、後醍醐天皇方をせめ、てがらをたてた。 |
室町時代 | 1351 1387 1392 1400 1452 1457 |
保憲(忠保の弟)は直義につき加賀丸(忠保の子)は尊氏について戦う。 禅峯、土岐氏のうちわもめをしずめる。 伊賀彦十郎時明、鷲見城を攻める。禅峯しりぞける。 安東三郎に攻められるが氏保しりぞける。 〜1553、大雪が降り、9メートルぐらいつもる。 朝日助左衛門 西洞の白山神社をつくる。(宝蓮寺のうら) |
安土・桃山時代 | 1585 1591 1600 |
大地震おこる。折立が今のように落ちこむ。 太閣検地、水戸左兵衛介巡回。 鷲見忠左衛門、遠藤慶隆の家老となり、八幡城主稲葉貞通と戦い討死。 この頃鷲見城はなくなる |
江戸時代 | 1662 1672 1677 1692 1701 1751 1785 1825 1829 1832 1860 |
大地震おこる。 青木佐藤守、向鷲見の検地をする。(遠藤内検) 広瀬利兵衛、大坪忠三郎、鷲見村の検地をする。 鷲見の白山神社できる。 大水害、鷲見で山むけおこる。 冷夏、綿入れの着物で夏をすごす。 この年特にひどく大ケカチになる。 大風水害おこる。 冷害おこる、笹のジネンゴまで食べたという。 〜1837、ひでり、地震、長雨、冷夏など6年続く。 このころ新田開発がさかんに行われ、田代新田(鷲見)、庄会新田(中切)、梁島新田(神道)、 恵里美新田、折立新田、切添新田が開たくされる。 |
明治時代 | 1873 1875 1876 1881 1884 1885 1886 1889 1893 1894 1896 1897 1899 1900 1901 1903 1904 1905 1908 1911 |
鮎走学校、西洞学校、中切学校、鷲見学校できる。 第九大区第五小区となる。 区長 杉山甚右衛門(鮎走) 鮎立村(鮎走・切立)、大鷲村(正ヶ洞・中切・穴洞・向鷲見)、鷲見村(鷲見・西洞)、の三か村になる。(明治8年) (鷲見村は、ほどなく鷲見・西洞の二村にわかれる) 大鷲小学校、校舎できる。 大雪降る。 大鷲村外三か村の組合役場できる。役場は往明寺。 戸長野村禎助、ついで塩見東がなる。 ドブ酒が作れなくなる。 三年制の簡易小学校となる。大鷲・上鮎立・下鮎立・西洞・鷲見の五校。 戸長河合済二、役場は長善寺。 組合村長 下田十郎右衛門 組合村長に杉山井一郎 四年制の尋常小学校となる。 夏日照りが続き、続いて大水害。 高鷲の戦死者二名(日清戦争) 北海道への移民始まる。大正7年までに224戸移民。 赤痢が大流行。 四村合併、高鷲村となる。(明治30年) 初代村長 杉本平次兵衛 村長 野村丈太郎 高鷲郵便局できる。 白川街道(156号線)改修 小学校に高等科できる。 鮎走尋常小学校は大鷲尋常小学校と合併し、高鷲尋常小学校となる。 杉山井一郎村長になる。 高鷲の戦死者14名(日露戦争) 野村丈太郎村長になる。 役場を正ヶ洞に新築する。 農業補修学校を高鷲小に付設する。 白鳥−牧戸間が幅3メートルになり荷馬車で運搬ができるようになる。 尋常科六年、高等科二年となる。 鷲見・西洞・大小洞・切立の学校は分校となる 下田平治村長になる。 現位置に高鷲小できる。 はじめて秋季運動会開く。 野村丈太郎村長になる。 |
大正時代 | 1912 1915 1920 1921 1922 1923 |
農産物品評会がはじめて開かれる。 はじめて学芸会が開かれる。 遠足をはじめて行う。 植松に隔離病舎をたてる。 杉山井一郎村長になる。 現位置に役場をたてる。 鮎走・正ヶ洞・中洞に電灯がともる。 清水実文村長になる。 向鷲見・切立に電灯がともる。 長野新田の開こんが始まる。 向鷲見で大火。 バス正ヶ洞まで走るようになる。 高鷲消防組(団)できる。 バス荘川村平瀬まで走り始める。 この頃より木炭の生産がさかんになる。 |
昭和時代 | 1928 1929 1930 1931 1933 1934 1935 1936 1937 1940 1942 1944 1945 1946 1947 1948 1949 1952 1955 1956 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1968 1972 1974 1975 1976 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1988 |
〜1931にかけて飛騨街道を改修。(100万円道路という) 木材のトラック輸送ができるようになり森林の伐採がさかんになる。 西洞に電灯がともる。 鷲見に水力発電所できる。 1941年までの戦死者11名(日中戦争) 白鳥−牧戸間にバス走り始める。 向鷲見に隔離病舎をたてる。 電報・電話が開通。 高鷲漁業組合できる。 伊勢神宮に修学旅行をする。(高鷲小) 満州(東北)の琿春へ入植始まる。 高鷲村森林組合できる。 赤痢が大流行する。 高鷲村農業会できる。 戦死者171名、琿春移民の死亡170名。(第二次世界大戦終わる) 上村弥平村長になる。 蛭ヶ野(72戸)、上野(50戸)、切立(20戸)、入植始まる。 大日小授業始める。 上ヶ島増雄村長になる。 高鷲中学校できる。 高鷲村農業協同組合できる。 高鷲中校舎新築。 婦人消防隊できる。 郡上北部四ヶ町村の合併案推進、本村は単独村に決定。 共同電話をひくようになる。 簡易水道をひくようになる。 大日小校舎新築。 鷲見に国鉄バス走り始める。 伊勢湾台風で被害をうける。 蓑島政一村長になる。 台風の被害うける。 豪雨・台風の被害うける。 蛭ヶ野の開発始まる。 高鷲商工会できる。 三八豪雪 八幡信用金庫高鷲支店できる。 高鷲診療所できる。 高鷲小新校舎できる。 学校給食共同調理場できる。 役場の新庁舎できる。 保育所新築 高鷲観光協会できる。 蛭ヶ野保育所新築 村営火葬場をつくる。 尾上郷放牧場つくる。 長瀬利一村長になる。 そ菜生産出荷組合、天皇杯受賞。 高鷲中校舎新築 高鷲中体育館できる。 五六豪雪 被害を受ける。 大日小体育館できる。 岐阜市との「たずさえの森」をつくる。 中之島公園ができる。 健康管理センターができる。 新しく診療所(鉄筋)がたてられる。 村民プールができる。 保健文化賞を受ける。 らく農生産組合が、中日農業賞・農林水産大臣賞を受ける。 |
平成時代 | 1989 1993 1995 1996 1998 1999 2000 2001 |
下水道工事が始まる。 湯の平温泉ができる。 大日小・西洞鷲見分校が閉校する。 高鷲北小学校が開校する。 高鷲北保育園が開園する。 牧歌の里ができる。 9.15豪雨で大きな被害を受ける。 東海北陸自動車道、白鳥〜荘川の間が開通する。 高鷲村に、インターチェンジができる。 東海北陸自動車道に、高鷲サービスエリアが完成して、営業を始める。 高鷲村民センターができる。 |