学校の歴史

今の私達は、あたりまえのように学校へ通っています。でも戦前の子ども達は、学校へも行けない子がいたようです。義務教育という法律ができても、家がゆうふくでない子はほとんど学校へこれなかったそうです。高鷲は、山の多い面積の広い村です。冬には、雪がたくさん降り、遠い学校へは通えません、そこでたくさんの分校ができました。

明治 6年
9年


15年
19年

26年
31年
34年

41年

それぞれのお寺を仮教場にして、4つの学校ができる。
小学校となり、初等科(3年)、中等科(3年)となる。
教科は、初等科は修身(道徳)・読方・習字・作文・算術(数)の5教科
中等科はこれに、図画・博物(理科)・地理・歴史がくわわる。
鮎走学校が、切立学校と大小洞学校にわかれる。
簡易小学校となる。大鷲・下鮎立・上鮎立・大小洞・鷲見・西洞の6つとなる。
教科は、体操(育)がくわわる。
尋常小学校となる。
尋常小学校が、4年制になる。
尋常科の上に、4年制の高等科ができる。
大鷲・下鮎立尋常小学校が合併し、高鷲尋常小学校となる。
尋常科6年制、高等科2年制(高鷲は3年制)となる(尋常科のみが義務教育)
鷲見・西洞・大小洞・切立の順に、第一〜第四分校となる。
分校はいずれも4年制。5・6年になると、本校に通う。
大正 1年 第3・第4分校は、1・2年のみ教育し、3年以上は本校に通う。
昭和 16年
21年
22年

25年
26年
27年
30年
32年
34年
40年
41年
42年
51年
52年
54年
小学校が、国民学校となる。
高鷲小学校大日分校ができる。
小学校(6年)、中学校(3年)の義務教育制となる。(国民学校はなくなる)
高鷲中学校できる。同時に、鷲見・西洞・大日に高鷲中分校ができる。
大日小学校できる。高鷲中大日分校は、大日中学校となる。
切立上野に冬季分校ができる。
下地下分校(2年)できる。
鷲見上野に、冬季分校できる。
同校は、常設分校となる。
高鷲中鷲見分校は、高鷲中に統合する。
大日中、高鷲中西洞分校は、高鷲中に統合する。
下地下分校は、高鷲小に統合する。
切立上野分校は、切立分校に統合する。
大小洞・切立分校は、高鷲小に統合する。
鷲見上野分校は、鷲見分校に統合する。
高鷲中学校、新校舎できる。
平成 7年
大日小・西洞分校・鷲見分校閉校
高鷲北小学校開校